HISTORYカメイの歴史

カメイは明治36年の創業以来、
「地域社会に密着し、人々の生活に役立つ
総合商社として活動発展することをめざす」という企業理念のもと、
エネルギー・食・住などを通し、
快適なくらしを提案してきました。
創業から今日にいたるまでの
歩みを紹介いたします。

明治36年~昭和20年 [1903-1945]創業から
太平洋戦争まで

1903-1945明治36年の亀井商店開業から、
昭和7年の株式会社への改組を経て、
太平洋戦争を乗り切るまでの、
カメイの基盤づくりの時代をたどります。

1903明治
36年

初代社長亀井文平、
宮城県塩釜にて
雑貨類の販売を開始

将来性を感じとった塩釜で亀井商店を創業。これが当社創業の第一歩です。創業当時の取扱商品は、砂糖、洋粉(小麦粉)、食用油、石鹸、髪油、灯油などあらゆる雑貨類でした。電力供給が不安定な時代であったため、ろうそくの製造・販売も手掛けお客様から大いに喜ばれました。

塩釜町門前本社(創業当時)
塩釜町門前本社(創業当時)

1908明治
41年

日本石油㈱との
特約販売店契約締結で、
石油製品の販売を開始

石油供給の黎明期に時代のニーズをいちはやく読み取り、燃料としての石油の可能性と将来的な需要の大きさを察知。その頃、日本石油㈱(現 ENEOS㈱)は東北への販路を求めており、文平は日本石油との販売代理店契約の獲得に向けて渾身の力を注ぎます。弱冠25歳、創業わずか5年の一個人商店が熱意と意欲で、日本石油の販売権を獲得しました。

塩釜町北浜の当社倉庫前(大正6年頃)
塩釜町北浜の当社倉庫前(大正6年頃)

1919大正
8年

酒類等の販売を開始

漁港の発展と商売が拡大していく中、得意先である漁船に、出漁のご祝儀や漁船員への振舞酒として焼酎を差し入れ、感謝の気持ちを表すとともに取り引きの継続をお願いしました。漁業の繁栄とともに漁船への燃料供給量も増大し、商人としての鋭い勘と合理性から自ら酒屋になることを考え、酒類販売を開始しました。

塩釜町門前本社前でのユニオンビール売出し光景(大正11年頃)
塩釜町門前本社前でのユニオンビール売出し光景(大正11年頃)

1932昭和
7年

株式会社亀井商店に改組、
経営の近代化を図る

「亀井商店の営業発展の基は店員の血と汗の賜物である」これが文平の持論でした。文平は社員に利益を分配し、将来の亀井商店の近代化・法人組織化に備えた方法を模索していました。そして、油槽所の増設など事業が拡大し、事業内容も多角化して営業実績も飛躍的に伸長していた昭和7年、法人組織への転換を決断しました。

築港本社前での集合写真
築港本社前での集合写真

1933昭和
8年

自動車販売を開始

米国フォード社が日本フォード自動車㈱を設立したのは、大正14年。東北では昭和3年、日本フォード自動車の特約店として奥羽自動車販売㈱が設立され、亀井文平社長もその株主の1人として参加。その後、黒字経営に至らず、当社が買収し、翌年から、自動車・自動車部品の販売、修理業などを行うようになりました。

買収した奥羽自動車販売㈱
買収した奥羽自動車販売㈱

麒麟麦酒㈱と三陸沿岸の
特約店契約

焼酎販売が軌道に乗ってきた大正11年頃から、当社でもビールやサイダーの取扱いを開始しました。大正12年、麒麟麦酒㈱仙台工場(現キリンホールディングス㈱)が生産を開始します。昭和8年、麒麟麦酒仙台工場が生産するビール1割を販売する条件で三陸沿岸一帯の特約店契約を締結しました。のちに酒類販売の柱となりました。

当時の麒麟麦酒㈱仙台工場
当時の麒麟麦酒㈱仙台工場

1937昭和
12年

セメント類の販売を開始

昭和11年頃から重要軍需品である石油類の販売統制の気運が漂い出し、同年11月には石油消費節約案が通達されたことを受け、今後のセメント需要に着目。三井物産㈱が東北セメント㈱(現 太平洋セメント㈱)の総発売元となっていたことから、セメントの取り扱いについての話が持ち上がり、特約販売契約を締結。当社事業部門の柱の一つである建設事業部の源となっています。

当時のセメント荷姿
当時のセメント荷姿

昭和21年~昭和59年 [1946-1984]戦後から
高度成長期へ

1946-1984戦後の混乱期を乗り越え、
高度経済成長とともに事業を拡大させた
発展の道のりをたどります。

1949昭和
24年

ガソリンスタンドの運営を開始

終戦直後の石油製品の販売はGHQの管理下にありましたが、徐々に民間へ移管されました。民間貿易による原油の輸入が許可され、当社でも、日本石油㈱およびスタンダード・ヴァキューム石油会社との特約販売契約も契約再開を果たし、当社が初めて運営する給油所を仙台市に新設しました。

当社第1号給油所(仙台市茂市ヶ坂給油所)

1955昭和
30年

日本石油瓦斯㈱との特約契約締結で、プロパンガスの販売を開始

日本石油瓦斯㈱(現 ENEOS㈱)より当社に東北地区の代理店としてLPガスを取り扱ってほしいとの要請があり、東北ではいち早く販売を始めました。その後、急速な普及に伴い施設を充実させました。需要の増加に対応した積極的な展開が現在のホーム事業の礎となっています。

昭和35年塩釜に建設した東北初のLPガス充填所
昭和35年塩釜に建設した東北初のLPガス充填所
塩釜球型ガスタンク_R
昭和45年塩釜に設置した1000t球型LPガスタンク

1977昭和
52年

多角化の進展

昭和50年代に入ると、これまでの主力商材に加え関連商材、新規商材の扱いも増えてきました。また、各事業部でも新商材が充実し、事業の多角化が進みました。

【リビング商品の拡充】
東北エリアではLPガスと関連機器を中心に営業していたのに対し、北海道や関東、関西ではリビング関連商品の営業が中心になっていました。

【保険事業部の設置】
昭和52年、損害保険代理店業務を当社の営業地域に段階的に拡張するため「保険事業部」が発足。

【SS(サービス・ステーション)部門の独立】
昭和55年、給油所数も100カ所を超え、石油部門からSS部門を分離独立しました。店舗に対するより強い指導と新分野の開拓を目指すことになりました。

【化成品の取り扱い開始】
昭和59年、東北地方では半導体産業などの企業集積が進み、工場生産過程で不可欠な化成品の需要増が見込まれたため、当社も化成品販売に参入しました。

昭和60年~平成15年 [1985-2003]CI導入から
創業100周年まで

1985-2003CI導入から変革と刷新を
重ねて果たした東証一部上場、
事業の多角化で低成長時代に挑み続けて迎えた
創業100周年までの、カメイのたゆまぬ挑戦の時代を見つめます。

1985昭和
60年

CI導入と社名変更

「信用の上にさらに人々の好意と同意を勝ち取ることができるような、明るさ、若々しさ、積極的で前進的な指導性が当社には必要で、いかに多くの人々に好感を持たれるすぐれた企業イメージを作り上げるかが当社の重要な課題になってきた」と、事業内容や企業文化を社内外に伝えるコーポレート・アイデンティティ(CI)戦略の重要性を強調。Kをデザインした新しいシンボルマークを決定し、コーポレートスローガンの募集が行われ、「くらしの中に未来をひらく」が採用されました。昭和60年4月1日、社名を「株式会社亀井商店」から「カメイ株式会社」に変更しました。

社名変更を伝える新聞記事
社名変更を伝える新聞記事
社名変更を新聞広告で告知
社名変更を新聞広告で告知

1988昭和
63年

東京証券取引所第一部上場

当社の発展のためには、資金の調達や営業エリアの拡大、社員の意識改革、優秀な人材の確保などが欠かせなくなっており、亀井文蔵社長は就任直後から、それらの目標を達成するためには株式を上場させる必要があると感じていました。昭和61年の東京証券取引所第二部上場、昭和63年には次のステップとして目標としていた第一部への上場を成し遂げました。

新聞広告で一部上場を告知
新聞広告で一部上場を告知

2000平成
12年

ファーマシー事業への参入

医薬分業の進展に伴う調剤分野の市場拡大を捉え、リテール事業強化の新事業として、サービス・ステーション部門にファーマシー事業課を設置、調剤薬局業務を開始しました。患者様の信頼を得て「かかりつけ薬局」として成長することは、地域密着型のリテール事業を推進していくうえで重要な意味を持つものでした。店舗展開を広げ、現在のヘルスケア事業部の基礎を築いていきました。

カメイ調剤薬局1号店となった気仙沼店
カメイ調剤薬局1号店となった気仙沼店

2003平成
15年

創業100周年
亀井文行5代目社長に就任

創業100周年の節目となる平成15年6月、次の100年に向けてさらなる飛躍を目指し、新社長に亀井文行が就任しました。
就任挨拶で、“当社の経営理念である『地域社会に密着し、人々の生活に役立つ総合商社として活動発展することをめざす』という原点に立ち返り、より地域に密着し、ビジネスを通じで社会に大きく貢献できる会社をつくっていく”と抱負を語りました。

平成15年~ [2003-]21世紀、
さらなる飛躍に
向かって

2003-カメイは、100年を超える歴史の中でビジネスを柔軟に変化させながら、
地域に密着したサービスを提供してきました。
信頼関係を商売の原点とし、地域の産業や暮らしの発展に貢献すべく、
これからも歩み続けます。

現代編

新体制と経営戦略

時代の変化に即応できる体制を構築し、将来にわたり安定した経営ができる、より強固な収益基盤と財務体質を持つ会社を目指しました。

組織改革

近年は単なる商品提供から、質の高いサービスやコンサルティングが求められており、これをワンストップで解決できる体制づくりが不可欠でした。
「商品別組織」を「業態別組織」に改組することで、プロ集団化した商品別事業部の知識技能はそのままに、得意先のニーズや要望に合わせ、さまざまな商品や情報、サービスを総合的に提案できる、より高度な「総合商社」に生まれ変わることとなりました。

M&Aによる事業拡大

平成18年からの中長期計画において、積極的な投資戦略を推し進める方針が明確に打ち出されたことにより、M&Aや商権買収、資本算入、事業譲受などの投資が一段と加速しました。その結果、直近で50社以上への事業投資を実現。既存事業の強化はもとよりペット関連事業や介護事業へ参入するなど、当社の事業領域は大きく拡大しました。

新商材・新事業の開発

時代の趨勢や各業界の動向を注視し、さまざまな角度から新商材の開発を推進しました。
特に、環境問題に対する意識の高まりから、新エネルギー関連商材や省エネ効果の高い商材、資源の有効活用が可能な商材の開発に注力しました。

■主な新商材・新事業
新商材:LED照明、金属吸着フィルター、創エネシステム、スーパーアルカリイオン水、緊急地震速報システム「タクス」、カーコーティング洗車、PB商品の開発(畜産品)、土木資材、メガソーラー架台、耐震補助工事、鋼製地下室
新事業:都市ガス事業、メガソーラー発電事業、オートリース事業、車検整備事業、軽板金事業、中古車販売事業、ケータリングシステム、ふるさと納税事業、介護予防特化型デイサービス

未来へ向けて

明治36年、雑貨商「亀井商店」として創業し、暮らしに役立つ商品を多種多様に取り扱いながら、当社は地域密着型の総合商社として事業を拡大してきました。
この間、戦争や金融恐慌など社会情勢の激動のみならず、チリ地震津波や東日本大震災など自然災害との戦いも数多く、文字通り幾多の試練の連続でした。
そして現在、変化の激しい不確実な時代が続きます。
もはや特別なことでは無く、環境の変化は既に“当たり前”のこととなっています。

こうした経営環境下で、間もなく120年。次の150年、200年、はるか遠い未来へ向けて、当社の歩みはいかにあるべきか。
かつてのような高成長時代は決して期待できません。変化にいかに対応していくか。

お客様の役に立つ商品やサービスを提供する。これは創業以来不変の当社経営の根本です。
一方で変化への対応に終わりはありません。
変化に対応できるものだけが生き残ることができ、変化の時代にこそビジネスチャンスは生まれます。

"原点回帰"

地域、日本、世界に至るまで、その時代のニーズ・お客様のご要望に応じて、創業の熱い思いを胸に、時代の潮流を常に見極めながらこれからもカメイは変化し続けます。
社員一人ひとりの力が、新しい未来を、新たな価値を創造できるのです。

now then what's the KAMEI?now then what's the KAMEI?

それは、変化に対応する
総合力をもって、
未知なる未来をきりひらくチカラ。

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